富山売薬の歴史
富山売薬の歴史は、一説には、富山藩二代藩主前田正甫が元禄年間に江戸城内で腹痛に苦しんでいた大名に薬を与えたところ、それがよく効いたと言うことで、諸藩より薬の行商を許されたと言われていていますが定かなことはわかりません。
よく、テレビの時代劇に登場する隠密や密偵が薬売りの格好をして出てきますが、江戸時代を通じて比較的容易に諸藩領内を行商して回れる背景には、このような理由もあるようです。特に他国者の出入りに厳しかった薩摩藩でさえも富山の薬屋に対しては、行商の特権を与えられていました。なぜなら薩摩藩は、富山の薬屋達に藩内での行商を許す代わりに、蝦夷地の海産物(昆布など)を北前船で薩摩国に廻船させ、それら海産物を当時支配下にあった琉球国(沖縄)を通して中国貿易(密貿易)を行い巨万の利益を得ていたとされ、それによって幕末期の倒幕運動の軍資金になっていたようです。薩摩藩に限らず、日本各地の諸藩においても、富山の薬屋と北前船の関係は強く結びついていたようです。
この北前船輸送のせいか、富山は比較的昆布の消費量や昆布を使った料理が多く、同様に昆布がとれない沖縄においても昆布の消費量が多いのはそのせいでしょう。
余談ですが、、先ほど述べた江戸時代の隠密・密偵の話ですが、薬屋の他に虚無僧もよく登場ますが、これも富山が発祥の用で、高岡市太田にある国泰寺</a>が全国の虚無僧の総本山的寺として有名です。
売薬版画 市川團十郎と尾上菊五郎 竹翁 画