新嘗祭って知っていますか?
昔、当方(大川有明)で新嘗祭を行ったときのことを紹介します。
新嘗祭とは、11月23日(陰暦11月の2回目の卯の日)に行う宮中行事で、天皇が新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収獲を感謝する祭儀だそうで、戦後は勤労感謝の日なったそうです。
一般には各県で毎年、米と粟を各1名づつ奉耕者とし、収穫された穀物を11月23日に宮中(皇居)に献納するようです。
当方の先代(大川有明)が、平成9年に富山県の奉耕者の一人にに選定された時の事を紹介します。
その年の奉耕者の一人を新湊市(現射水市)から選出することになり、市役所の方と新湊市農協(現いみず野農協)の方が協議し、当家の大川有明を指名してきたわけです。最初、先代(大川有明)はあまりにも責任が重大であることと、費用が掛かると言うことで辞退していましたが、市や農協その他の機関等がバックアップすると言うことで受けることとなりました。このとき、、新湊市で行われるのは16年ぶり、片口(当時は片口村)で行われるのは60数年ぶり(?)ということで、多くの人が見物に来ておられました。また、地元TV局やケーブルTV,新聞社なども取材にきていました。
春先に、まず奉耕地を決め、その内の約10坪位を竹垣で囲い、その中で実際に粟を育成することになりました。写真の中央に建っている鳥居のようなものは、そのときの献穀斉圃入り口に建てられていた門(?)です。
そして、親戚、来賓(県、市、農協、その他関係機関の方や、市長、議員さん)などが集まって奉耕の儀式を盛大に行われました。粟の植え付けは奉耕者自らが行うのではなく、12歳から20歳ぐらいの親戚および近所の女の子5人が早乙女装束になって行います。
その後は、農協の方や関係機関の方の指導・協力をえて育成していくわけですが、除草剤や農薬といったものは一切使用せず、ただひたすら世話をするのみです。(農薬などを全く使わないと言うことはものすごく大変なことでした)
季節が変わって秋になり収穫の時がきました。春の式典と同じように、親戚や来賓を迎え同じく盛大に収穫の祭典が催されました。5人の早乙女が鎌で穂を刈り取ります。刈り取った穂は、農協を通して関係機関で乾燥させ、出来のよいものだけを選りすぐり(5合ぐらい?)を献納することになります。
献納する粟を持って奉耕者夫婦(大川有明・倫子)と関係者は皇居ね行き、全国の奉耕者一同が天皇陛下の御前に五穀を献納し、記念撮影をして、帰りに記念盃やたばこを下賜されてかえってきます。この時点で、奉耕者は責任が果たせた安堵感と宮中で天皇陛下にお会いできたという感激を味わう様です。
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